フィツツ・エララルド インタビュー in Nov.2003

●このアルバムのアイディアは?

厳密に言えば、「The very air...」を作りはじめた時には、はっきりとしたアイディアはありませんでした。その後、これらの曲はなんとなく作られ、聞きかえしているうちに、それが私に「このようにまとめあげることができる」というように思いおこさせたのです。この中の何曲かは、ちょうど生物が群れをなしたり、その生息地で発展していくようなものでした。その「場」は、花に生命を与え、そして、カエルに、他の生物へと・・・、そして、最後に人間にも、というように。

●このアルバムはどのように作られましたか?

わたしは、コンピューターでやる前から、音楽制作に取り組んでいました。最初は、バンドでギターを演奏していました。いろいろなギターミュージックも好んで聞いていました。しかし、わたしは、けっしてスターのようなタイプのミュージシャンにはなれなかったのです。いつも、やろうとするのだけれども、うまくいかず、失望したりしていました。うまくいかなかった理由の一つは、おそらく、いつもなにか自分の好きなアーティストに似ようとばかりしていたことだと思います。自分のスタイルというのではなく。今は、もっと、音楽に対して自分が子供になったように感じます。とても自由で、心地よいです。アートにおいて、このような感覚になることがまず第一歩だと思います。

私は、自分の作品を緩やかに発展していくようなものとしてとらえています。楽曲の中で、またその音響構造の中でという意味で。自分の音楽のもっとも良いメタファーは、「水」だと思っています。それは表面に小さな部分を生み出す動いている水であると。自然とこれらの部分は、大きな動きの中で自分の役割を演じるわけですが、その役割は、二次的なものです。
メインは、全体の流れであり、それは常に波によって作られた波の流動的な動きを伴っています。新しい部分や要素は、ずいぶん時が経つまで表面には表れない。しかし、スタートの時点で既にある要素をもっていれば、それらは流れの中で最後まで残っているでしょう。

機材に関して、Altair 231, Polyvox, Faemiといった古いソビエト製のシンセや、いろいろなジャンク、いろいろなテープレコーダー(このアルバムの半分は、ソニーTC-KE600Sで録音されている)、ロシア製の無骨な重いギターやベース、そして、自分で作ったサンプル、友人のサンプル、CDやレコードからとったサンプルなどを使っています。
自分でこんなことをやるようになるのではと思っていましたが・・・あるいは、なりたかったのかもしれません。しかし、自分にとってはとても良い環境です。

普通、音楽家や芸術家は、きちっとしたやり方をそれぞれ持っていると思います。それは、長い歳月でそうなったことです。私は、このアプローチに異論はありません。しかし、私の場合は、新しい局面で、常に新しいやり方を模索するというアイディアを持っています。それをプラクティスの中へ持ち込むことはむずかしいでしょう。それは、私の場合、プラクティスによって、無感覚になることを避けるためのやり方なんです。


●モスクワにおけるあなたの活動は?

悲しいことに、現代のロシア文化は、「現代ロシア」になるふりをしているだけです。ヨーロッパやアメリカのスタンダードから借りてきたものばかり。政治的、社会的なイメージは、タイムズ誌に合うように鋳直されていて、文化も同様なんです。モスクワが大都市であるということに異論はありませんが、見せかけというより、これが事実なんです。今、モスクワは、ロシアの地方へ十分な食料供給ができません。私も、生活のお金を稼ぐためにモスクワにやってきた100万人のひとりです。ちょっと、辛い現実です。
私がモスクワにやってきたころは、ここでモダンなエレクトロニクスの音楽シーンを探せることを期待していました。でも、なにもありませんでした。IDMやWARPのようなものや少なくともマウス・オン・マーズなどに興味を持っている人々はいるはずなんですが。でも、唯一私は、スイスからのアーティスト、Les Halmas(Trixa Arnold and Ilja Komarov、Ilijaは、大友良英のアレンジで別のバンドで日本に来たことがある)をみつけました。彼らは非常にオープンでした。ロシアのアーティストにはないタイプです。(ロシアのプロデューサーは本当に傲慢です。)彼らと会って、その後私もメンバーとなり、今では、George Bagdasarovも加わり、Las Kalugasとなりました。この夏我々はモスクワとサンクト・ペテルブルグで良い感じの公演ができました。そんなわけで、私は地元のミュージシャンとのコラボレーションが今はありません。あと、chill.ruを運営しているSasha Reshetilovともすばらしい出合いでした。その時、彼は、Territory clubやBamboo cafeでとてもいいDJをしていました。彼は、すばらしいレコードを(インポートで)購入する助けをしてくれたり、パーティーをアレンジしてくれたりしました。


●あなたが影響を受けたアーティストはだれかいますか?

たくさんいますが・・・たとえば、最近なんかは、tomlabのものとか聞きます。音楽は、私を緩和させてくれたり、私の特徴を洗練させてくれます。確かに、良い音楽は、私に翼を与えてくれるのです。
昨年、Sashaが紹介してくれた日本の新しい音楽をたくさん聞きました。それは、私にとってまったく新しい世界であり、多くの時間をそれに使いました。いろいろなタイプの音楽がたくさんあり、エレクトロニクスなんですが、一傾向のものではないことが興味深いです。私は、いつも音楽にビッグ・エモーションを求めているのですが、エレクトロニクスの音楽の中でそれを見つけるのは難しい。特別なことに瞬間的に焦点を当てたものを多くみますが、でもそれは、音楽家というより科学者のやりかたです。私は、科学より音楽に興味があります。
私は、ポップも好きです。実験的なものより、むしろそちらから影響を受けています。Vincent Gallo, Arto Lindsay, David Grubbs, Nick Drake, Mantlerなど・・・むずかしいな、もし、私が、良く聞いたバンドとかの名前を思い出して言ったとしても・・・。私が聞いているものは、必ずしも私が作っているものとは関係がないかも。私の場合、自分の音楽を作ったり学んだりしている間は、まったく変わっちゃっている。たぶん、「音楽を作るアプローチを得ること」が音楽を作ることにつながり、私が聴いていた音楽からではない。

私は、カルーガからモスクワに移り住みました。モスクワの近くの小さな町です。「宇宙のゆりかご」として有名なところです。ロケット原理をはじめて発表したコンスタンチン・チオルコフスキー(1857-1935)が生まれ育った町です。私は、以前ここの宇宙博物館で働いていた時、彼についての文章をいくつか書きました。彼は、ものすごい人で、宇宙旅行、哲学、鉄の飛行船等・・・。私は、天才である彼にまったく感動しました。
もうひとり、チェコのアニメ作家、ヤン・シュヴァンクマイエルは、私にとってすばらしい天才です。彼は、本当にたくさんのすばらしいムービーやアート、コミックを生み出しました。2年前、プラハの彼のギャラリーを訪ねた時、いろんなものを買いました・・・彼はすさまじく奇怪なアーティストです。私は、彼のやりかたが好きで、彼の驚くべきエフェクトはコンピューターなしで作成されてます。それは恐らくものすごい仕事でしょう!


●ロシアの現代文化についてどう思いますか?
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信じがたい状況です。経済の180度方向転換は、悲しい状況を引き起こしています。私たちの価値は、崩れ去り、それに代わる物質的なもの、精神的なものが生み出されていません。現在のところ選択の余地などありませんが、状況が良くなるように信じています。この国は、いろいろと変化し続けてきました。だから、人々はちょっと変化に疲れています。人々は、安定を望んでいます。

●あなたは、ヴィジュアル・アーティストでもあるわけですが、どんなものを作っていますか?

私の父は、まったくなにも気にしない人でした。父は、外に出る時も、左右異なる靴を履いて、片方だけのメガネをして。なぜなら、父の頭の中は、いろんな種類のことで常にいっぱいだったからです。私は、そんな父が本当に好きです。父は、私が幼い頃よく励ましてくれた人でした。彼は、いろんなジャンクが好きでした。私もです。私は、身の回りのいろいろなモノが好きです。私は、見放されたモノが特に好きです。モノには、長い長い歴史があります。私は、最初、SemenaやZenit、FEDなどのロシア製の古いカメラで写真を撮りはじめました。音楽/写真制作のルールとして、私は、すでに持っているものを使うようにしています。機材が増えるのは、あまり好きではありません。
私は、小さなもののマイクロスキャンがとっても好きです。私は、観る人を困惑させたいと思っています。私のイメージは、親しみやすくはっきりとしていますが、とらえどころがありません。でも、美学は私にとってとても重要な位置にあります。私は、膨大なフィルムを持っていて、一度、それらをフィルムアダプター無しでスキャンしようと試みました。その結果は、とても画期的ですばしかった。イメージは、ポラロイドのようになりました。荒い粒子が浮き出て、でもそれは、デジタルのビットのようではない。これが、現在取り組んでいるやりかたです。 前は、オカマ・パフォーマンスやそんなようなことをやっていたこともありました。友人と私は、我々の奇妙なアクションで観客を刺激するのが好きでした。ファッションショーのようなことをやっていたわけですが、我々のモデルは、みんな酔っぱらっているか、ストリートの乞食のようでした。


●なにか、聴く人々にメッセージはありますか?

私たちは、愛するために、また愛されるためにここにいます。







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